患者スピーカーバンク   明日への気づき 患者の語り  

うつ病 / 神奈川県在住 / {地域} 小山 祐介(コヤ) 男性 1980年代生まれ Yusuke Koyama

夢も希望もなくシステムエンジニアとして就職、24歳で超過労働とパワハラが引き金となってうつ病を発症しました。当事者でありながらも自立訓練施設職員として働く今の私だからこそ話せることの全て、お話します。 {リード文}

患者スピーカーバンクに参加した経緯 {キャッチ} {小見出し}

NPO法人CRファクトリーの参加型プログラムであるコミュニティ・マネジメント・ラボ(現コミュニティ・エンパワメント・ラボ)への参加をきっかけに患者スピーカーバンクの存在を知り、最初は簡易な研修やイベントに参加する程度でした。その後、起業にチャレンジする機会に恵まれたことや、自立訓練施設職員として人と接する時間が多くなったことから、うつ病当事者として動じることなく話せるようにしたいと考えるようになり、本格的に研修を受けました。今後も講演経験を通して実力を培っていきたいと思っています。 {本文}

なりたいものがわからなかった自分

幼い頃から両親や教員の言うことをちゃんと聞く【聞き分けの良い素直ないい子】として育ってきました。成績も優秀、高校では教育委員会から児童生徒表彰を受章、大学では成績優秀者に返済不要の奨学金を与えられる学術奨学生に採用されたぐらいです。言われたこと、提示されたこと、与えられたことは懸命にこなし続けました。でもやりたいことがわからず、夢も希望も何もない。心は満たされることなく、ずっと虚しさと哀しさを抱えながら生きていたんです。他人軸で生きていたことは、私にとってうつ病を発症する要因の一つでした。

生きることは消えゆくように儚いから

うつ病になって、死にたい気持ちに駆られながら過ごす日々がしばらく続きました。「もう駄目だ。もう無理だ」、命も何もかも全て諦めようと何度も思いました。その度にたくさんの人が手を差し伸べてくれて、大変ありがたいことに今も生きています。生きることはすごく長くて当然のようだけど、とても哀しくて、消えゆくように儚い。永いお別れを告げる日は、明日なのかもしれません。そんな日々の中で今も生きているなら、まだ何かやることが残っているんだろう。だとしたら私は何をしたいかな?と考えるようになりました。

自分の言葉で語り伝えられる人間になりたい

それが《自分の言葉で語り伝える》ことでした。私が信じたこと、信じたもの。見て、聞いて、知ったこと。経験したこと全てを自分なりの言葉で語り伝える姿を通して、「生きることは、辛くて、苦しくて、哀しいけど…そんなに捨てたもんじゃないのかもな」と誰かがそう思って、笑ってくれたのなら。そのために自分自身をちゃんと知って、実体験を交えながら患者スピーカーとして話していきたいと思っています。

【なんでもない】には価値がある

「こんな自分なんか…」「自分になんて何の価値もない」と多くの人が考えたことがあるのではないかと思っています。私もその一人でした。ただ、自立訓練施設職員として働き始めて感じたのは【何の変哲もない日々や、なんでもない日々には価値がある】ということです。それは日々だけでなく、人にも言えると思っています。誰かの体験や経験、知識、存在そのもの。自分からしたらなんでもないことなのだけど、他の人にとってはとても大切なことだったりする。それを言語化して伝えていくことが、私の望みです。

講演経験など

ヒューマンライブラリー(明治大学・御茶ノ水女子大学・東京学芸大学・中央大学・その他)
第4回代官山トークマルシェ(2020年1月25、26日開催)